きらきら星と

シュール

006お母さん

今日で両親との関係が終了しました。もしも来世があるのなら、次はうまく関われるといいですねと帰りながら思いました。幸せかどうかは知らないし、どんな状況でも不満ばかりなのかもしれないので不都合なくこれからを過ごせるといいですね。今までは何かあれば助けようと思っていました。妹に関してもそのような気持ちでした。

失敗だらけの人生だったかもしれないし、そんなものかしら。

縁を切る為の切符を母は受け取りました。どんな思いで、わたしがそれを渡したかきっとさっぱりわからないと思います。

伝えなければ伝わるわけもないので、と今まで何度も痛い思いをしてきたのにまた伝え、今回は自身がいつになく弱っていたこともあり許容出来そうにありません。


わたしは母がほしかったんでしょう。話を聞いてくれる母がほしかった。今世はあきらめます。

振り返ると驚く程に話を聞いてもらった記憶がありませんでした。言葉にしても一笑に伏される。真剣に取り組むことも揶揄されました。そんなものです。

如何にわたしがだめな考えを持っているか、母がどれだけがんばってきたか涙ぐみながら話されました。

だれかの悲しみと自分の悲しみを比較する意味なんて、どこにあるのでしょうか?


最後にあの場所に立って。子供時代と両親へお別れしました。両親とこれから話すことはないでしょう。


終わっていく関係ばかりです。大切にしたかった関係ばかり掴めずに零れていきます。自業自得、因果応報、どれでもいいです。


選んだのはわたしです。

こどものころ、お母さんが好きでした。大切でした。おかあさんが悲しんでいたら助けたいと思いました。

わたしの思うやさしいおかあさんではありませんでした。おかあさんはわたしの、したことを覚えていません。できなかったことばかりを責めました。わたしがだめなのだと思いました。

今わたしにはだいすきなともだちがいます。サポートし合える職場のチームもあります。大切に思う人もいます。


それなのに母の言葉はわたしの何かをごっそりと抉ってきます。これは泣き言でしょうか?




子供時代の思い出として、母が焼きリンゴをつくってくれた事だけがしあわせな記憶として残っています。それだけで十分です。父には魂を傷つけられました。残す言葉はひとつもありません。



さよなら、おかあさん。

星野です 不惑の年を生きます