きらきら星と

シュール

003思い出について

涼しい風が吹いている。少し寒い。

公園に滞在しているたくさんの人々。そのひとり。

そうそうに裏起毛のボーダーを着込み日陰のベンチに座る。人が多すぎてリラックスからは程遠い。パンクした車の代車はあるのだけれど乗りたくない触りたくないので何年かぶりに自転車に乗って公園に来た。テニスコートからラリーするポールのコンコンという音が反響して響く。いろんなことがうまくいかない。それは思い通りにならないだけ。自分のことだけ考えれば過不足なく日々は過ぎていく。

諦めては、諦めた中から譲りたくない気持ちを大切にする。大切にした人から大切にされなくてもそれはわたしのものじゃない。わたしが大切にするのはわたしの気持ちだから。

こどものころ、両親はわたしのことを特別に思っていたと思う。人の気持ちだから想像でしかないけれど、そこには執着とか独占とかペットへ思うような気持ちも多分に含まれていた。愛情がないと思うのとは違い、方法が噛み合わないのだと考えていた。今もそれは変わらないけれど、方法をまったく知らなかったのかなと追加で思うようになった。可哀想な事だ。

大切にしたい関係ほど大切に言葉と行動を重ねて伝え続けるしかないと思うのに、近過ぎることによって両親はわたしに甘えわたしの気持ちを奪った。

それだけの関係。

その後も理想を持ちながら、人は代わり、全部同じ。

両親で失敗したらその後リカバリは相当な努力が必要なんだろう。体感として思う。

それでも本を読んだりどうでもいい人の意見を聞いたり失敗しながら、人に寄り添うことや大切にすることを本当に少しずつ知った。その節はみなさまお世話になりました。周りに恵まれているというよりいい人間とのみ関係を続けてきた結果なのかもしれない。諦めた関係や切られた関係。たくさんたくさん必要だった。

馬鹿みたいな関係に傷ついた日々。人と向き合うのは最低限でいい。割とオープンに話すタイプだと思うけれど最近はそういう関係が心底必要ない。ある程度話すとある時ふと空気が変わる。急に相手が自分のことを話してくるようになる。それはその個人のコンディションだったりするのかもしれないけれど居心地の悪い親密さがまとわりつく。必要ないんだけど一通り聞く。ここから先は必要ない。だけど、と思う。

どうせ誰でも同じなんだし、誰でも傷つくのなら、時間つぶしにはなるかもしれない。傷つくことも生きる上で避けられない感情なのだろうから遊んだらいい。生きるのはたくさん遊ぶこと。ってことじゃないかしら。


涼しい風が頬をなでる。がんばって、ここまで来た。

何にも頼らず、生きた。

星野です 不惑の年を生きます